十勝神社

広尾町の十勝神社

十勝神社は北海道の十勝支庁南部の広尾町に鎮座する神社。明治初期の北海道に一時期存在した十勝国(とかちのくに)の一宮でもある。
十勝神社の桜

十勝神社は桜の名所!

北海道特有の桜としては「エゾヤマザクラ」「チシマザクラ」という品種が存在します。北海道でしか見ることのできない貴重な桜を、ぜひご家族みんなで堪能してください。
十勝神社の由緒

歴史の長い十勝神社

十勝神社の由緒として、1666円6月に福山藩主武田廣林の十勝国警衛の祈願社として領主蠣崎蔵人が創祀し当時より刀勝大明神と称えて鎮祭していたそうです。その後シマウス海岸に漂着した流木が龍神の形をしていたので御神体として祀るようになったところ、漁業が豊かになり、この流木に彫刻を加えて木像としたそうでせう。その年月日はわかりませんが丈4寸余りの小像で聖徳太子に似ていたと伝えられています。
えりも岬

風の街!えりも町の襟裳岬

0123456 襟裳岬は風速10メートル以上の風の吹く日が、年間260日以上もある、日本屈指の強風地帯です。えりも町を訪れたら、風の館で情報を仕入れて、風といっしょに「えりもウォッチング」に出かけてみませんか。
襟裳岬のゼニガタアザラシ

ゼニガタアザラシの日本最大の棲息地!

アザラシ科ゴマフアザラシ属に属する海棲ほ乳類。日本沿岸に定住する唯一のアザラシ。太平洋から大西洋まで広く分布し、日本に定住する唯一のアザラシであり北海道東部の襟裳岬や大黒島・歯舞群島等に生息しています。
襟裳岬の歌碑

襟裳の春は何もない春です♪で有名になりました

森進一さんが歌っている「襟裳岬」サビに登場する「襟裳の春は何もない春です」という歌詞に「何もない春」なんて無いと反感を持ち、渡辺プロや作詞者の岡本宅への抗議の電話もあったそうです。襟裳の知名度アップに貢献してそういった感情もなくなり、森はえりも町から感謝状を贈られ、1997年にこの歌の記念歌碑が建設されました。
高竜寺の山門

総ケヤキ造りの山門は北日本最大

獅子・龍・鳳凰の彫刻が掘られています。この山門だけで207個の彫刻が施されています。これらは越後で製作され、帆船で運ばれてきたそうです。
高竜寺 釈迦涅槃図

高龍寺には「釈迦涅槃図」が保存されています

山門の右手に並び建つのは、鐘楼と宝蔵。戦争で供出された鐘は、1951年(昭和29年)に再鋳されました。 宝蔵は、レンガ造りの入り口、白い漆喰壁、腰周りにはめ込み下見板をまわした蔵造りという外観がユニーク。 旧函館区公会堂建築時の寄付など函館の発展に尽くした豪商、大檀家の相馬哲平氏の寄付により作られました。 北海道有形文化財指定の蠣崎波響筆「釈迦涅槃図」などが収蔵されています。
高龍寺

古き良き日本の歴史を学べる癒しスポット

北海道有形文化財である蠣崎波響の最高傑作といわれる「釈迦涅槃図」を所蔵しています。他に 本堂・山門及び袖塀・位牌堂・開山堂・金毘羅堂・宝蔵・鐘楼・水盤舎・防火塀・土塀も登録有形文化財で、特に防火塀は大火に備えるため明治時代に造られたレンガ造りを残しており、歴史の情緒が感じられます
立待岬

絶好のビューポイント!函館 立待岬

市街地から見て函館山の左端に位置する立待岬は、海に突き出る形で海抜約30mの断崖がそそり立ちます。大森浜から湯の川温泉街へと通じる海岸線 と、津軽海峡を一望できる絶景の場所で、かつて、寛永年間には北方警備のため異国船の往来を監視する台場、明治時代には函館要塞の背後を防御する要塞が築かれました。
立待岬

立待岬の先端は絶好の展望スポット!

「立待」という名は、一説でアイヌ語の「ピウス」(岩の上で魚を待ち伏せして、ヤスで獲る場所)を意訳したとされています。岬一帯の岩は、斜長石や角閃石などからなり、縞模様に見え、五稜郭築城の際、石垣の一部に使用されました。
石川啄木

函館は石川啄木も愛した街!

 1907年5月5日~9月13日までの132日間に函館に滞在した歌人・詩人の石川啄木が死後葬られたのはここ。函館は妻や子供たちも後に呼び寄せて一緒に生活した地でもある。わずかな期間ではあったが、啄木にとって楽しい思い出の地でもあったようだ。それで石川啄木は生前「死ぬときは函館へ行って死ぬ」と言っていた(正確には後述の宮崎郁雨への手紙)らしい。
立待岬の歌碑

立待岬には名だたる文学者たちの記念碑が数多くあります

広場の一角には、与謝野寛・晶子の歌碑が建てられています。市立函館博物館の創設者だった岡田健蔵の功績を称えるため、1957(昭和32)年8月に建立。寛が岡田氏の親友・宮崎郁雨を読んだ「濱菊を郁雨が引きて根に添ふる立待岬の岩かげの土」、晶子による「啄木の草稿岡田先生の顔も忘れじはこだてのこと」との短歌が刻まれています。