立待岬

絶好のビューポイント!函館 立待岬

市街地から見て函館山の左端に位置する立待岬は、海に突き出る形で海抜約30mの断崖がそそり立ちます。大森浜から湯の川温泉街へと通じる海岸線 と、津軽海峡を一望できる絶景の場所で、かつて、寛永年間には北方警備のため異国船の往来を監視する台場、明治時代には函館要塞の背後を防御する要塞が築かれました。
立待岬

立待岬の先端は絶好の展望スポット!

「立待」という名は、一説でアイヌ語の「ピウス」(岩の上で魚を待ち伏せして、ヤスで獲る場所)を意訳したとされています。岬一帯の岩は、斜長石や角閃石などからなり、縞模様に見え、五稜郭築城の際、石垣の一部に使用されました。
石川啄木

函館は石川啄木も愛した街!

 1907年5月5日~9月13日までの132日間に函館に滞在した歌人・詩人の石川啄木が死後葬られたのはここ。函館は妻や子供たちも後に呼び寄せて一緒に生活した地でもある。わずかな期間ではあったが、啄木にとって楽しい思い出の地でもあったようだ。それで石川啄木は生前「死ぬときは函館へ行って死ぬ」と言っていた(正確には後述の宮崎郁雨への手紙)らしい。
立待岬の歌碑

立待岬には名だたる文学者たちの記念碑が数多くあります

広場の一角には、与謝野寛・晶子の歌碑が建てられています。市立函館博物館の創設者だった岡田健蔵の功績を称えるため、1957(昭和32)年8月に建立。寛が岡田氏の親友・宮崎郁雨を読んだ「濱菊を郁雨が引きて根に添ふる立待岬の岩かげの土」、晶子による「啄木の草稿岡田先生の顔も忘れじはこだてのこと」との短歌が刻まれています。
陸別町

星空にやさしい街10選に認定!陸別町

雲が無い状態で、寒さがきつくなればなるほど空気は澄んでいき、星空の輝きは増していきます。日本一寒い町ならなおの事『超』がつくくらいの満天の星空と天体ショーを満喫することが出来るでしょう。
銀河の森天文台

銀河の森天文台の館内紹介

一般公開型天文台としては日本最大級の115cm反射望遠鏡をはじめ、30cmクラスの小型望遠鏡4基、15cm大型双眼鏡、4連太陽望遠鏡等を備える公開天文台です。
屯田兵

屯田兵第1大隊第1中隊が正式名称でした!

一戸一万五千坪から階級別に下士官以上になると二万坪も支給されました。しかし、未開の土地を手作業で切り開いていくことは、なみ大抵のことではなく、しかも補助の打ち切り後の生活は決して楽ではなかったようです。
琴似屯田兵村兵屋

一般的な民家よりもはるかに優れたものだった屯田兵村兵屋

札幌本府の警備と北辺の守りをかためるために、全道の主要港湾の防備を目的としていましたが、後期になると営農を重視して、石狩川の流域に集中して兵村が置かれました。その数は、全道37村、総戸数 7,371戸、家族を合わせて約4万人が入植しました。
琴似神社

北海道の歴史を語る上でぜったに外せない屯田兵

1897年に琴似神社に改称。1915年現在地に移転。琴似村の住民を氏子にして明治時代には出店や芝居が催される年に一度の祭りが村人総出の楽しみだったそうです。境内には、屯田兵屋が原型のまま残されています。
えこりん村

未来の子供が幸せに暮らすために今必要な情報発信をすること

「えこりん村」では、これまで私たちが考え、実践してきた自然への理解や環境問題への様々な対応策、文化的な試み、そしておいしく健全な食の提案などを展開し、「未来の子供が幸せに暮らすために今必要な情報発信をすること」と「お客様に最大のご満足を提供すること」を目指します。
銀河庭園

開放感のある憩いの空間「銀河庭園」!

自然への畏敬と感謝の物語を30のテーマで綴るおとぎの庭。 ここでは煌めく銀河の星々のように、人だけでなく木々や草花、小さき生きものたちが、そのいのちを輝かせています。 歩けばきっとどこかであなたの妖精に出会えるでしょう。
天満食堂

まるでおとぎの世界!恵庭 えこりん村の天満食堂

暑いときには植物が蓄えた水分が蒸発させる時の気化熱が室内を涼しくし、寒いときには冷気を遮り室内を暖かく守ります。生きものの住処にもなる屋上緑化。森のそばにたつレストランに相応しくやさしい工夫です。